
プラハ · フラッチャニ · 聖ヴィート大聖堂、旧王宮、黄金小路
プラハ城:チケット、開館時間、見どころ
ヴルタヴァ川を見下ろす丘の上の城郭です。聖ヴィート大聖堂、旧王宮、聖イジー教会、黄金小路があります。開館時間、無料で入れる場所、チケットの種類、行き方を紹介します。
本日
各月の開館時間は「開館時間」ページをご覧ください。
2026年10月24日に公式サイトで確認済み · 公式情報
要点
- メイン・サーキットは、旧王宮、聖イジー教会、黄金小路、聖ヴィート大聖堂を含みます。城のチケット案内(2026年10月24日に確認)によると、チケットは2日間有効で、各建物に入れるのは1回です。当サイトのチケットのページにある商品には、それぞれ独自の条件があり、各カードに記載されています。
- 敷地は毎日6:00から22:00まで開いています。来訪者規則では、一般公開されている建物を除き、城内への立ち入りは無料とされています。歴史的建造物は、4月1日から10月31日は9:00から17:00、11月1日から3月31日は9:00から16:00に開き、12月24日は休みです。最終入場時刻が公表されているのは大聖堂(16:40、冬は15:40)と大南塔(17:30、冬は16:30)だけです。
- 聖ヴィート大聖堂には無料では入れません。大聖堂の公式ページ(2026年10月24日に確認)によると、無料で入れる部分は2023年10月25日から当面のあいだ閉鎖されているため、中に入るにはサーキットのチケットが必要です。大南塔、常設展示ルート、絵画館は、メイン・サーキットとは別です。
- 撮影が禁止されているのは4か所です。展覧会「プラハ城の物語」、大聖堂の宝物館、火薬塔、絵画館です。
- チケットのページには、提携先(第三者)が販売する城とその周辺の商品を載せています。入場券、オーディオガイドや解説付きのチケット、ガイド付きツアー、組み合わせチケット、ロブコヴィッツ宮殿のコンサート、シティパス、川クルーズです。各カードに含まれる内容が書かれています。
聖ヴィート大聖堂

公式サイトは、聖ヴィート大聖堂をプラハで最大かつ最も重要な教会と呼んでいます。ボヘミアの王と王妃が戴冠した場所で、守護聖人、君主、貴族、大司教の墓があります。ここに建つ3番目の教会で、925年ごろにヴァーツラフ公がロマネスク様式のロトゥンダを建てさせ、1344年にカール4世がゴシック様式の大聖堂に着工しました。最初の建築家はアラスのマティアスで、次いでペーター・パルラーが担いました。工事は1419年のフス戦争で止まりました。19世紀後半からネオ・ゴシック様式で完成に向かい、公式サイトは1929年を荘厳な奉献の年としています。
ベデカーの1911年版ガイドブックは、工事がまだ続いていた時期に書かれ、大聖堂を完成させる作業が1867年に再開されたと記しています(304ページ)。同じガイドブックによると、聖ヴァーツラフ礼拝堂にはボヘミア産の半貴石がはめ込まれています(305ページ)。公式サイトによると、王冠宝器は礼拝堂の南西の隅にある扉の奥に保管されており、王冠の間と礼拝堂は一般には公開されていません。王冠宝器の複製は旧王宮で見られます。
大南塔
大聖堂の隣にある塔は高さがほぼ100メートルで、専用のチケットがあります。公式サイトによると、頂上まで287段で、プラハの眺めと鐘を見られます。最大の鐘ジクムントは、公式サイトによれば国内最大で、1549年に鋳造され、重さは約15トンです。
塔はペーター・パルラーが14世紀末に着工しましたが、ゴシック様式では完成しませんでした。回廊と尖塔は16世紀のものです。最終入場は17:30(冬は16:30)で、塔は移動に制限のある方は上れません。
旧王宮とヴラディスラフ・ホール

宮殿は何世紀もかけて大きくなりました。12世紀のロマネスク様式の石造の宮殿、カール4世の時代のゴシック様式の増築、そして1483年以降のヴラディスラフ・ヤゲロの最後の大改築です。中心にあるヴラディスラフ・ホールはベネディクト・リートの設計で、後期ゴシックにルネサンスの要素が加わっています。戴冠式、宴会、馬上槍試合、市場に使われ、見学者は騎士の階段から出ます。この階段は、騎士が馬に乗ったまま槍試合の会場に入れるように造られました。
リュツォウは『プラハの物語』(1902年、147ページ)で、当時の年代記作者が「ヨーロッパにこれに並ぶ建物はなく」、「これより長く、高く、広い」ものはなく、それでいて柱がない、と書いたと引用しています(当サイト訳)。隣のボヘミア尚書局では、公式サイトによれば、1618年に総督2人と書記1人が城の堀に投げ落とされました。ベデカー(1911年、304ページ)はこれを5月23日の出来事とし、プラハの窓外投擲事件と呼んで、三十年戦争の直接のきっかけだったと記しています。
聖イジー教会

公式サイトは、聖イジー教会を城の2番目の教会としています。最初の教会は920年ごろにヴラティスラフ1世公が創建し、973年にベネディクト会の女子修道院が加わりました。アプスと2つの塔を持つ現在のロマネスク様式の姿は、1142年の火災のあとのものです。内部にはプシェミスル家の君主たちの墓があります。リュツォウは、ボヘミアでこの様式の最も優れた建物と呼びました(1902年、194ページ)。
教会は、ロマネスク様式の外観を取り戻すため、1887年から1908年にかけて修復されました。かつての修道院では、現在、短期の展覧会が開かれています。
黄金小路とダリボルカ塔
黄金小路の小さな色とりどりの家は、新しい北側の防壁が築かれた15世紀末のものです。城の射手、家族、金細工師が住み、最後の住人が去ったのは1953年でした。フランツ・カフカは第一次世界大戦中に22番の家に住んでいました。彩色された正面は、1950年代のイジー・トルンカの意匠に沿っています。
12番の家の階段は、ダリボルカ塔のテラスに通じています。ヤゲロ朝時代の円筒形の砲塔で、下の階は牢獄でした。1498年に最初に、そして最も有名な囚人となったのは、騎士のコゾイェディのダリボルです。公式サイトは、小路に錬金術師がいたとは述べておらず、ルドルフ2世の錬金術師を火薬塔と結びつけています。ダリボルカ塔の近くの防衛用の通路は、移動に制限のある方は通れません。
中庭と衛兵交代

城の中庭と通りは、チケットなしで通れます。決められた入口から入り、保安検査があります。公式サイトは、警察と城の衛兵による無作為の予防的な検査について述べており、大きな荷物を持ち込まないよう求めています。武器、ドローン、自転車、スクーターは禁止で、門では衛兵に半メートル以内に近づいてはいけません。
公式サイトには、正午に第1中庭で行われる儀式的な衛兵交代への言及があります。現在の時間割は確認できず、中止になることもあるため、公式の閉鎖情報のページで確認してください。城の衛兵隊は1918年12月6日に創設され、1929年からの歴史的な制服は、チェコスロバキア軍団に着想を得ています。
常設展示のチケットで見られるもの
常設展示ルートは、「プラハ城の物語」、城衛兵隊の展示、絵画館、ロジュンベルク宮殿を含みます。旧王宮のゴシック様式の階にある「プラハ城の物語」は、この場所の千年の歴史を語ります。城衛兵隊の展示は火薬塔(ミフルカ)にあります。15世紀末の砲塔で、ルドルフ2世の時代には城の錬金術師の住まいに使われました。
第2中庭にある絵画館は、約4,000点の所蔵品のうち優れた絵画100点余りを展示しています。公式サイトはこれを国内で最も古くから途切れずに続く絵画コレクションと呼んでいます。ロジュンベルク宮殿の公式ページは読めなかったため、説明しません。「プラハ城の物語」、火薬塔、絵画館では撮影が禁止されています。
ルドルフ2世のプラハについて、リュツォウは警句を引いています。リブシェの時代には木造だった都が大理石になり、「ルドルフのもとで黄金になった」というものです(1902年、103ページ)。
庭園と夏の離宮

王室庭園は1534年にフェルディナント1世のために造られました。隣に立つ夏の離宮は16世紀半ばのルネサンス様式の別邸で、トマーシュ・ヤロシュの青銅製の「歌う噴水」(1564〜68年)があります。南の庭園は1920年代にプレチニクが設計し、2012年に新しくなりました。稜堡の庭園も彼の作品です。ベデカーは1911年に、王室庭園がそのころ一般には閉ざされていたと記しています(306ページ)。
王室庭園、鹿の堀、南の庭園は季節ごとの開園時間があり、11月1日から2月末までは閉まっています。開館時間のページをご覧ください。稜堡の庭園は、城の敷地の開放時間に開いています。


